花色えんぴつ

30代、独女

誕生日

先週誕生日だった。

毎年、誕生日になると荒んでしまう。


ありがたいことに、前日にお祝いをしてくれた友達が今年はいた。

この友達は気楽で、心が清らかなままの私で居られるので

いついても飽きないし楽しくて、大人になってから高校生みたいに仲良くしてくれる友人に心から感謝している。

そしてしかも、お祝いしてくれた。

嬉しかった。


誕生日には、奨学金の完済通知も葉書で届いた。

これも嬉しいギフトだ。10年かかったけど、完済して良かった。


あと、一か月前から近くの木にカラスがたくさんの枝を差し込んで巣をかけた。しばらくうずくまっていたが

今日、その巣から、ちらっと灰色のふわふわの産毛が見えた。嬉しかった。

カラスでもなんでも、命が大きくなるのは喜ばしいこと。無事に大きくなって欲しい。

はてなからメールが来たので

震災から10年ですね。

私も太平洋沿岸で生まれ育ちましたが、九州なので、あの日は被害はなく

ただ呆然と、テレビを見つめていました。


行方不明の方が、まだ2,000人いるそうですね。

まだ2,000人を待っている人たちがいて

探している人がいて、全然

何も終わってない人がいますが

時は無常で、コロナやオリンピックと

世の中は目まぐるしく変わるのです。


私は、たぶん

遺体を目にしてやっと、心の蹴りがつくと思うのです。かけらでも。

人の心はそんな衝撃の中、整理がつくものだと思っています。


悲しい現実ですが、その瞬間がこれから生きなくてはいけないとき、とても大切なことになると思うのです。

行方不明のまま、ずっとだと

消化する、ということはできないと思うのです。絶望が現実にならないまま

探して見つけてあげたいのに見つけられないまま

探してるのにあまりに広くて大きな自然の中で無力を痛感してしまって


自分の元で、という思いのまま、10年が経つのは

流されてしまった人も、残された人にもとても過酷なことではないでしょうか。

何かできることはないのですが、そんな人たちが何千人もいることを

命の尊さとともに忘れてはいけないと思うのです。

そして、それに尽力している人がいることも。


一人でも多く

行方不明の方が元の居場所へ戻れることを祈っています。




離別の辛さ

大人になったなと思った。

彼と別れた訳だったが、何より辛かったが


昔は、自分がかわいそうな部分が大半だった。

男と別れたとき、一人になった自分が惨めで

そんな思いの中にいた。


だが、今回別れた彼は

そんな気持ちは湧かなかった。なので、あまり引きずらずに今日まで来ている。

もちろん、彼と会えなくなってしまった

彼との将来が無くなってしまった現実は辛いし寂しいけど

別れる最後、心から彼と自分のそれぞれの幸せを願っていた私がいて

それが大きく、今の私を救っている。


この離別は、本当に辛かった。

ただでさえ、付き合うのでさえ難しいのに

お互いに努力し励まし、気持ちをコントロールして良い関係を築いてきたから。


ネットで山ほどある中、一つのコラムを読んだ。

別れの辛さは、相手の欠点を受け入れて愛情を注いだ分、強くなると。

まさにそれだった。

そして、大人になり彼から愛されていた私は

最後、彼の幸せを願って

自分の幸せを願って、スッと離れることが出来た。


本当に大人になった。

大人の恋ができた、と思える。


相変わらず彼の残像はいつでも見えてしまう。

いつも会っていた時間が来ると、そわそわして寂しくなる。

だが、彼がこれから幸せになると思えば

これで良かったなと思う。


自分を大切に

自分との約束を破らないように

相手を傷つけないように


将来を信じて。

花のように

彼と終わった

花のように恋をした

難しいことが多くて、でも頑張ってた

お互いに


頑張りすぎたね

疲れたね

もう無理だね

辛いね

諦める現実が悲しいね

たまらないよ


でも仕方ないね

大人だしね

何よりあの子たちに申し訳ない

私も浅はかだった

あなたも夢中になりすぎてた

でも幸せだったね

あの頃に戻りたい

戻れるなら戻りたい

でもあえて選ばない

最後に言ったね

連絡は自分からはもうしないと

逃げたのもあるけど、迷いもあったんだよね

でもね

別れてからもそれは消えない


よく頑張ったよね

すごく頑張ったよね

永遠を誓って、目指して

家族になるためにいろんなことを努力したよね

やっぱりだめなのかなって

感じながら

私の手で壊しながら

あなたの手が届かなくなりながら

最後は同じタイミングで、二人で遠くへ身を引けたのが良かったかもね


愛してるよ

大好きだよ

だから幸せになってよね

私もなんとか頑張るから

あなたが最後だと思っていた

願っていた

一緒にいられるように

あなたを看取れるようになりたくて

あなたを幸せにしたくて

あなたを支えたくて

これからもとなりにいたかったよ

だけど無理だね


愛してる

だから神様、彼を幸せにしてくださいね

よろしくお願いしますね

彼がどうか、心から笑えますように


花のような恋だった

長い間幸せだったと思う

悔しいけどさよならです

それだけは最後、重なったね

さよなら亮くん。ありがとね。

愛してるよ。

彼氏が電話に出ない

なぜだと思う。

いざこざのときはより、話をしなきゃと思うけど相手は違うようだ。

呑気に次会う木曜で、とかいう。

私が話したい、ぶちまけたいのは彼への不満。積もり積もった文句。

彼はたぶん、打開策とかを話そうとしているから

だからそんなこと言うのかな。


鈍すぎてイラつく

呑気すぎてイラつく

子どもにも甘すぎてイラつく


震災

5年ほど前に、NHKのハートネットで被災された高齢ご夫婦の取材記を拝見した。

なんとなく見ていた。高齢になってから運悪く被災してしまい、介護の現状を伝えるという内容なのだろうと思っていたのだが

あまりにも過酷すぎる現実をまざまざと見せつけられて声を上げて泣いた。

なんでこんなに歳をとってから更に酷い事が起こるだろうと思った。


それでも、挫けそうな奥さんをご主人が強く優しく懸命に声をかけて、新しく家も建てようとして、


というところで終わった。



そして、続編が一年後あったのだが

新居が出来上がったタイミングで、奥さんは亡くなっていた。

ご主人は、新居があれば奥さんが気を持ち直してくれるから、と前のドキュメンタリーで言っていたのに

奥さんは震災で亡くなった息子さんを追うように亡くなってしまっていた。


ご主人は

がんばるよりしょうがない、と口にしていた。

あんなに過酷な状況で、どんなことも乗り越えてきた大先輩でさえ、これはどうにもならないと思ってしまう天災だったのだと思う。

だけど生きていくには、悲しむ自分も諦めて前に進もう、という

強くて悲しいほど逞しい姿勢が、とても切なかった。


あのおじいさん、お元気なのでしょうか、

今でもよく思います。


東北の震災で亡くなられた方々に、これからもご冥福をお祈りいたします。